ついに終わりましたねー、「西郷どん」。
鹿児島をはじめとする九州の方々には申し訳ないのですが、もともとぼくは西郷さんにはそれほどいい印象を持ってはいませんでした。正確に言うならば、特に何とも思わない、まあ親しまれやすい人だったんだろーなくらい。
それが、11年前、「あるできこと」をきっかけにして少し詳しく調べてからは、「人物に関しては、本当に人をひきつけ、動かすことのできる大きな人だったんだなー」と、確信を深めることができました。
一方で、西郷さんさえいなければ、もっと全然違う日本になってたはずなのに!!という思いが逆に深まってしまったんですね。とんでもなくない?みたいな。いや、お好きな人には申し訳ないと思ってますし、いろんな面がありますからね、人物にも歴史にも。でも、なかなかぬぐえなくてねー。
なんですけどね。
じつはぼく、大河ドラマ「西郷どん」のラストシーンを、なんと11年も前に予見してたんですよ。
…としか思えないお話を、今日はさせていただきましょう。
まあ話の展開的には、「あるできことをきっかけに」って、なんなの?ですよね。
ちゃんと話すとちょい長いんで、思いっきり端折りますけどね。
2002年くらいかな、ものすごい偶然の重なりで、鹿児島出身の演歌歌手・日高正人さんと知り合いました。「一度の大ヒットも無いまま、演歌歌手で初めて武道館を満員にした男」「無名のスーパースター」という、ある意味すごい人で、めっちゃいい人なのですが、傍から見ると、頭の禿げたでかくてごつい田舎者のおっさん以外の何者でもない人でね(ホームページ検索してね。今はおしゃれなおじいさん風です)。昭和45年デビューの大先輩に向かって失礼ながらも、「ただでさえ演歌が売れない時代なのに、いつまでも日高さんの風貌で、男女の恋心とか歌ってたらダメですよ〜」という話を、飲んだときによく話していました。
「日高さんは人生自体が演歌みたいな人なんだから、『人生』を歌わなきゃ」とか「鹿児島を歌ってきた歴史もあるし、鹿児島路線で狙うのがいいと思います」なんて話をしていて、勢いで「じゃあこうしましょう」と提案したのが、「よかどマイウェイ」というタイトル。(よかどは、「いいもんだぞ」くらいの感じかな。)
で、マイウェイを鹿児島弁で新たに作詞して、コミックソング風ながらもほろっとさせる、人生を思いっきり歌い上げた曲を出す!!という作戦。
その後2〜3年かな、放置しちゃってましたが、ある日突然NHKを訪ねてこられたマネージャーさんから、「あの話なんですけどね」と切り出されて、「じつは来年西郷隆盛の没後140周年なんで、『よかどマイウェイ』で西郷さんを歌いたい。北折さんに作詞をしてもらいたい」。
そりゃね、「えええええ〜〜〜〜〜」でしたよ。真面目な話。
西郷さんでは、コミカルにできないじゃないですか。いまだに熱烈なファンも多いことくらいは知ってましたし、まして鹿児島の人にめちゃ叱られそうで。
まあでも、日高さんは地元の西郷隆盛奉賛会(調べてみてね)ともつながりが深いし、毎年西郷さんのお墓掃除にも出かけているし、大切に思ってるからこそぼくにご依頼いただいたんだなーということで、お受けいたしました。
で、調べたんですよ。ガッテン作りながら、いろいろと。
そしたらねえ。大量殺戮の世界ですよ。九州じゅう駆けずり回って各地で地元の前途ある若者たちを大量に巻き込んで、どんだけ人が死ねばいいわけ?なくらいのことが起きちゃってるワケです。これは西郷さんじゃなければ起きなかったことでしょう。幕末の他の生き残りの誰であったとしても、ああまでのことにはならなかったんじゃないかなあ。その大量の志高い人たちが死んでなかったら、その後の九州の、そして日本の歴史も全然違ったものになったと思います(タラレバ無用の世界ですけどね)。もちろん西郷さんが悪くてそうなっちゃったわけではないでしょうけど、だからこそ、やるせないというか、せつないというか、罪も深いというかね…。
この大量殺戮(人数は知りません)に関しては、なんかほとんど語られてないんですよねー。いろんな人たちの中に、西郷さんのイメージが悪くなっちゃうのを恐れる気持ちもあったでしょうね。
「激しい戦い」の描写はあっても、大量殺戮な感じはね。。。
ぼくも忖度しました。というより、目を背けたい思いもありました。
「西郷どん」でも、西南戦争は2回分でしかなかったのは、やはり重くしたくない意思が働いたものと思います。
あれ、あんまり端折れてないですかね。
じゃ、ご覧いただきましょう。
その時に日高さんにお送りしたそのまんまの文書と歌詞。今見るとこっぱずかしいし直したい部分もあるのですが、そのまんま。
ね!「西郷どん」見続けた人ならわかりますよね?ね?
「西郷どん」見てから書いたんじゃないかってくらいじゃんって。
せっかくなんで、「マイウェイ・カラオケ」で動画検索して楽しんでくださいね。
つるッと読んじゃうとつまんないので。(それは中島さんの訳詞も同じ)
多くの人に語り掛ける人だっただろうということで、「よ」を多用してます。あと「連用止め」っていうのかな?「〜て」も並べてます。
ド頭の「友よ」は、思いっきり大久保って感じでしょ。瑛多でしょ。
「西郷どん」の制作方針として、これまでそれほどスポットの当たってなかった、流刑時代を「思いっきり色濃く描く」のがあったそうですが、ぼくも同じ思いでした。なので、「島の暮らし」を2番のド頭に。ここで人の情を知るわけです。そして、やはりあまり重視されてないような「田舎に引っ込んでからは狩猟ばっかの生活」も、その後に続けて。
ぼくね、ここらが「人間・西郷」の中でなんか一番大事な気がしたんですよ。史実として並べられる事柄よりも。人間だもの。
大量殺戮を全部すっ飛ばしたくなった表れとして、1番は「維新まで」。2番はいきなり、絶命の瞬間の、いわゆる走馬灯のイメージで書きました。走馬灯で思いっきり浮かんだのは、どう考えても島の暮らし。なので、ぼくの中では、「妻よ我が子よ」の妻は、愛加那さんです。(よかったですよねー、二階堂ふみさん。いい役者さんですねー。ホントにそこに住んでた愛加那本人のようにしか思えませんでしたね。)
ドラマでは、イトさんが前を向いてましたが、よい感じで愛加那さんのシーンが入ってましたねえ。
そして!!!!なんと!!!!
ドラマのラスト(正確にはラストちょい前)は、
西郷と大久保が、大志を持って江戸に続く街道を、「よっしゃあ〜〜!!!行くぞお〜!!!」な感じで駆け出した、そのツーショットのストップモーションなんですよ!!!!
歌詞の最後の、「友よ、行っがあ」とまったく同じじゃないですか!!!!!
駆け巡るんですよ、肉体から解き放たれた人間・西郷の精神は。
天に向かって。(天国じゃないですよ)
あ、また長くなってますね。
すみません、長いついでに、YahooNewsから勝手に引用なのですが、<西郷どん>「大久保正助を忘れてきた」回想かぶせに反響 「ずるい」「涙腺崩壊」、という記事の中にこんな一節。
“西郷が大久保を迎えに来る”シーンは、若き2人の熱き友情と絆を描いた名場面の一つ。再び江戸に向かったはずの西郷が、来た道を駆け戻ってくると、薩摩を出ることを決めた大久保に「忘れもんした。おはんじゃ、大久保正助を忘れてきた」と告げ、大久保も「行っどお!」と応える……という展開。
最終回のまさかの“かぶせ”に、SNS上は「一蔵どんの最期に『大久保正助を忘れてきた』のシーン入れるとか反則ですやん」「このタイミングで『大久保正助を忘れてきた』はずるい」「めっちゃ泣いた」「完全に涙腺をやられました」
ほらねほらね、大反響。
すごくないすか!? 11年前のぼく!!
ドラマでは「行っどお」でしたが、ぼくもそこは迷ったところで、すこし語感が弱いんですよね、歌う時には。下がるというか。それで方言辞典のようなページを探して探して、「行っがあ」にしました。
おかげさまで、奉賛会の事務局長さんには、「今までの西郷さんの歌の中で最も素晴らしい。初めて西郷さんのことをちゃんと歌った歌だと思います」というお言葉もいただきました。
最終回の再放送も総集編もあると思うんで、ぜひぜひよかどマイウェイしてから見てくださいね。
「西郷どん」の役者さん達(特に鈴木さん。もんのすごい役者ですねえ、本当に)、カラオケ行く人たちなのかどうかわかりませんが、これプリントして持って行って、歌ってほしいなー!!!!!
それ想像するだけで、もうたまらんですわ。
は〜、たまらん( *´艸`)。
誰か伝えてくれないかなー??
2018年12月19日
2018年12月13日
がっかいがっかり…?その2
そんなに引っ張ったつもりは無かったんですが、「めちゃ気になる」というお声をいくつもいただいてしまいました。いやー、すみませんです。m(__)m 別にそこまですごい話でもないので、かえって書きづらくなっちゃいました。
一気に書いちゃうと書いてるうちに興奮度が増しそうで、一呼吸置きたかったのと、お酒の時間が来ちゃったから、というのが重なったために、前回はあそこでパソコンを閉じたというだけの話です。引っ張った割には「何だよそれだけのことかよ」って思われちゃうような、だったら一気に書いといた方がよかったよなあ。。。なレベルの話です。すみません。
あ、予告しておいた「すごーくうれしかったぴちぴちの話」から書きますね。
なんとね、「幼少期からめちゃくちゃガッテンファンで、毎週全部家族で『ぎゃんぎゃん言いながら』見てたんです〜」とおっしゃる女子学生さんがいたんですよ〜。
年長さんくらいからテレビの記憶があるとして、2002、3年くらいからですかねー。ガッテンが高視聴率高内容番組の不動の地位を獲得していった時期に重なります。「ぎゃんぎゃん言いながら」がいいですねえ。理想としていた視聴形態で、ホントありがたすぎです。この年代層は、親の世代が見たり見なかったりなので、「一度も見たことがない・知らない」子もけっこういますからね。ぼくの話を聴いて、「これだけでも徳島から来た甲斐がありました〜」ですって。そりゃ、おじさんの方こそでごじゃりますよ〜。ごめんね〜、最近ますますジジババ番組になっちゃってて。
とかいうのはさておいて、避けては通れない本題。
あのね。
まれに手違いが起きるのですよ。確認ミスと言うやつですね。今回は昔からのお知り合いで尚且つ何年も前からご依頼いただいてましたので、ちと疎かになっちゃったんでしょうねえ。しかも学会ですからね。ぼくの経験上は、学会においては過去も一度もダメだったことはないんですよ、本の販売。
本の販売に関しては、単純明快。許可されなければ行きませんというルールにしています。学校の授業の場合を除いて、「例外なし」です。
何度かブログにも書きましたんで簡単にしか書きませんが、話を聴かれた方が、せっかく「本を買ってまでもっと学ぼうと思う気持ちを持った」ことを大事にできない主催者のところには、行きたくないからです。「会場が禁止している」とか、理由になりません。今どきそんなルールの会場はめったにないんで、ほかの会場を選べばよいだけの話です。
これもブログに書いてるので詳しく書きませんが、決して売りたいわけではありません。買いたくなった気持ちを大事にしたいのです。それでしかありません。赤字だしめちゃ手間だし。
今回は12月1日(土)が本番でしたが、その週の月曜の遅い時間に本の販売ができないことがわかり、「だとすると行けません。直前なのにすみません」とお伝えせざるを得ませんでした。
大会長が住田先生なので、マジ胴体がねじ切れそうなくらいの気持ちでしたが、それはたまたま住田先生だったからで、そうでなければごく淡々と「じゃあさいなら」でしかありません。「楽しみにしていたお客さんに申し訳ない」気持ちは、誰にも想像がつかないくらいありますが、過去に同じ理由でお断りしたところがある以上、その人たちに失礼なので、簡単にルールを変えるわけにはいかないのです。
まあでもそれなら「残念」とか「申し訳ない」だけのはず。「がっかり」という言葉を使うほどなのか、ですよね。
はい。ホントにがっかりだったのは、本の販売ができない「理由」だったのです。
だって、「よりよい教育とは」を語り合い学び合い、高みを目指すのが目的で集まる人々なのですよ。「面倒が起こると困っちゃうからさあ」とばかりに、本気で学びたい人たちの思いに対して、「そんなの、どーでもいいんじゃない?」な感じなんですよ。学会本部が。
あ、すみません。断定しちゃいましたが、そうとしか到底思えない態度ということです。日本学校保健学会のえらい人たちは。「講師の本を買いたい?本気で買いたいなら、Amazonでも何でも自分で調べりゃいいだろが」と言ってるに等しい状態。それ、なんなの?
ただでさえ学校保健という、ほかに比べたらめちゃ曖昧でつかみどころのない教科ですよ。かかるかどうかもわからない将来の病気を防ぐために頑張りましょう、身体の仕組みを知っておきましょうという、病気世代の大人でさえちゃんと知ろうとしない分野で、「前向きな気持ち」にさせるのが極めて難しいことは、学問的に研究しなくたってわかるレベル。だからこそ、「少しでも学ばなきゃ」と全国から集まってくる研究者や現場の先生方の心の中に、「この先生から学びたい」という気持ちが起こった瞬間に、それをサポートするのは当たり前の話でしょうが。
しかも研究者の集まりなんだから。「前向きな気持ち」は、ふとしたことで消えちゃうことも痛いほどわかってるはずなのに、「家に帰ってからAmazonで調べりゃいいんじゃない?」という放置プレーを、「しょーがないんじゃない?」って、何なんだよそれレベルです。少しも聴講者に寄り添う心が無い。「鉄は熱いうちに打て」って、教育者の間の格言でしょーが。
そーなった理由が、「立場・事情」なのですわ。極めて内向きな論理。
「無制限にすると、たくさんの出版社がひしめき合って、収拾がつかない」のは理解できます。だからといって、高額な出店料を吹っかけて、金を払うことができた業者だけを入れる。そうじゃない本は、金を払えなかった業者に申し訳が立たないから、たとえ講師本人であっても持ち込み販売は禁止ってさ。「弁当作りたくない親からクレーム来るとイヤだから運動会は午前中だけね」の世界と、まったく同じレベルじゃん。学会なのに!!もうがっかりもいいとこです。
そーゆーの、ぼくは許さないのです。長いものに巻かれたりはしません。だからこんなスライドまで用意して、ぶちまけたのです。「おかしくないですか?」と。
ちときつい感じですね、今見ても。大会長講演の直後、えらい人もたくさん残ってると見越したからこそです。ぼくは主催者の手先じゃなく、聴講者の味方なんですもん。黙ってりゃすむとは思いません。可能な限り寄り添うのは当たり前のことなんで。
…ところでみなさん、気づきましたよね。
「だったら行きません」とか言ってた北折が、出かけて行ってしゃべった上に、本を112冊売ったとか書いてたじゃんと。
はい。おかげさまで、住田先生に無理やり頑張っていただいてしまいました。出店していた出版社にお願いして、スペースを確保していただいた上に販売そのものもその出版社にお手伝いいただけることになりました。
ただ、ぼく自身は、その解決法は違うと思いました。
一業者にだけ負担をかけて、学会は知らん顔というのはおかしいでしょ。
でも住田先生だったから、受諾しました。住田先生は、ぼくだけじゃなく他の講師の方の本も販売できるように手配して、聴講者が本に出会えるようにくださってました。「やはりおかしい」とわかってくださってたということです。
北折が「ドタキャン」をネタに脅して販売をゴリ押ししただけ、と思われちゃうかもしれませんね。そーまでして本を売りたいのかよと。でも、それがいやなら誰がブログになんて書くかいです。ぼくは、考えていただきたいのです、学会の人に。そして似たケースを引き起こしてる人たち(&巻き込まれてる人たち)に。
一冊の本との出会いは、本当に人を、世の中を変えることがある。教育者がそれを大切に思う思わないって、どうなのかを。
寄り添うフリではなく寄り添う。先生側にではなく、生徒の側に。
奇しくも、今回の大会テーマは「子どもの生活認識に寄り添う保健教育と学校保健」なのです。
そのためのプロなんだから、やって当たり前。業者殺到して困るなら、それをどうさばくかを、お客さんに寄り添って考える。やって当たり前すぎ。
じゃ、「販売ができないなら講演をドタキャンする」のは、寄り添ってないんじゃないか?という議論もありますよね。当然すぎるほど当然なのですが、ぼくはそこでめちゃ自分を板挟みにして苦しんでいます。もう10日も経つのに今だって。
学会のえらい人にわかってもらって、受講者の利便性を優先するように変わってもらうには、ドタキャンしといたほうがよかったかもなと、いまだに悩んでます。だからこのおもしろくもないブログを書いてるワケです。
長くてごめんなさいね。最後に、「さらにがっかりしたこと」だけ書いて終わりますからね。
なんとね、見ちゃったのですよ。来年の学会の担当者なのかな、ぼくの本を置いてくれた出版社のところに来て、
「まあ、そーゆーわけでごめんね、来年は一切売れないから。」ですって。「見本だけ展示できるんで、それで勘弁して。」なんですと。もう、開いた口がふさがらんかったですよ、ぼくは。
ごめんねを言う相手は、業者じゃなくて聴講者でしょーが!!というのもあるんだけど、「そーゆーことなんでよろしく」程度の認識しか持っていないことに、ぼくは日本の教育学のトップクラスの人たちの認識の低さに心からガックリ来ました。見てたからわかったはずでしょ、本のブースにいかに人が殺到して我先にと本を求めていたか、その人たちの顔がいかに輝いていたか。そんなのもわからん人たちが教育のトップ…。そんな人が考える来年の学会プログラムが果たしてなんぼのものかと暗澹たる気持ちです。
まあぼくは二度と呼んではもらえないでしょうから関係ないんですが、今言えるぼくの希望はひとつです。
聴講者利益を優先させる発想を持たないまま販売禁止の会場を選んじゃったせめてもの償いとして、来年は是非、各講座の講師の部屋での「こっそり販売」を黙認するようにと。(バレちゃって叱られたら幹部が謝まればよい話。それで出入り禁止になったら、その会場を選んだ者の責任だと認識すべし。)
ぜひ真剣に考えてくださいね、日本学校保健学会の上層部の皆さん。
一気に書いちゃうと書いてるうちに興奮度が増しそうで、一呼吸置きたかったのと、お酒の時間が来ちゃったから、というのが重なったために、前回はあそこでパソコンを閉じたというだけの話です。引っ張った割には「何だよそれだけのことかよ」って思われちゃうような、だったら一気に書いといた方がよかったよなあ。。。なレベルの話です。すみません。
あ、予告しておいた「すごーくうれしかったぴちぴちの話」から書きますね。
なんとね、「幼少期からめちゃくちゃガッテンファンで、毎週全部家族で『ぎゃんぎゃん言いながら』見てたんです〜」とおっしゃる女子学生さんがいたんですよ〜。
年長さんくらいからテレビの記憶があるとして、2002、3年くらいからですかねー。ガッテンが高視聴率高内容番組の不動の地位を獲得していった時期に重なります。「ぎゃんぎゃん言いながら」がいいですねえ。理想としていた視聴形態で、ホントありがたすぎです。この年代層は、親の世代が見たり見なかったりなので、「一度も見たことがない・知らない」子もけっこういますからね。ぼくの話を聴いて、「これだけでも徳島から来た甲斐がありました〜」ですって。そりゃ、おじさんの方こそでごじゃりますよ〜。ごめんね〜、最近ますますジジババ番組になっちゃってて。
とかいうのはさておいて、避けては通れない本題。
あのね。
まれに手違いが起きるのですよ。確認ミスと言うやつですね。今回は昔からのお知り合いで尚且つ何年も前からご依頼いただいてましたので、ちと疎かになっちゃったんでしょうねえ。しかも学会ですからね。ぼくの経験上は、学会においては過去も一度もダメだったことはないんですよ、本の販売。
本の販売に関しては、単純明快。許可されなければ行きませんというルールにしています。学校の授業の場合を除いて、「例外なし」です。
何度かブログにも書きましたんで簡単にしか書きませんが、話を聴かれた方が、せっかく「本を買ってまでもっと学ぼうと思う気持ちを持った」ことを大事にできない主催者のところには、行きたくないからです。「会場が禁止している」とか、理由になりません。今どきそんなルールの会場はめったにないんで、ほかの会場を選べばよいだけの話です。
これもブログに書いてるので詳しく書きませんが、決して売りたいわけではありません。買いたくなった気持ちを大事にしたいのです。それでしかありません。赤字だしめちゃ手間だし。
今回は12月1日(土)が本番でしたが、その週の月曜の遅い時間に本の販売ができないことがわかり、「だとすると行けません。直前なのにすみません」とお伝えせざるを得ませんでした。
大会長が住田先生なので、マジ胴体がねじ切れそうなくらいの気持ちでしたが、それはたまたま住田先生だったからで、そうでなければごく淡々と「じゃあさいなら」でしかありません。「楽しみにしていたお客さんに申し訳ない」気持ちは、誰にも想像がつかないくらいありますが、過去に同じ理由でお断りしたところがある以上、その人たちに失礼なので、簡単にルールを変えるわけにはいかないのです。
まあでもそれなら「残念」とか「申し訳ない」だけのはず。「がっかり」という言葉を使うほどなのか、ですよね。
はい。ホントにがっかりだったのは、本の販売ができない「理由」だったのです。
だって、「よりよい教育とは」を語り合い学び合い、高みを目指すのが目的で集まる人々なのですよ。「面倒が起こると困っちゃうからさあ」とばかりに、本気で学びたい人たちの思いに対して、「そんなの、どーでもいいんじゃない?」な感じなんですよ。学会本部が。
あ、すみません。断定しちゃいましたが、そうとしか到底思えない態度ということです。日本学校保健学会のえらい人たちは。「講師の本を買いたい?本気で買いたいなら、Amazonでも何でも自分で調べりゃいいだろが」と言ってるに等しい状態。それ、なんなの?
ただでさえ学校保健という、ほかに比べたらめちゃ曖昧でつかみどころのない教科ですよ。かかるかどうかもわからない将来の病気を防ぐために頑張りましょう、身体の仕組みを知っておきましょうという、病気世代の大人でさえちゃんと知ろうとしない分野で、「前向きな気持ち」にさせるのが極めて難しいことは、学問的に研究しなくたってわかるレベル。だからこそ、「少しでも学ばなきゃ」と全国から集まってくる研究者や現場の先生方の心の中に、「この先生から学びたい」という気持ちが起こった瞬間に、それをサポートするのは当たり前の話でしょうが。
しかも研究者の集まりなんだから。「前向きな気持ち」は、ふとしたことで消えちゃうことも痛いほどわかってるはずなのに、「家に帰ってからAmazonで調べりゃいいんじゃない?」という放置プレーを、「しょーがないんじゃない?」って、何なんだよそれレベルです。少しも聴講者に寄り添う心が無い。「鉄は熱いうちに打て」って、教育者の間の格言でしょーが。
そーなった理由が、「立場・事情」なのですわ。極めて内向きな論理。
「無制限にすると、たくさんの出版社がひしめき合って、収拾がつかない」のは理解できます。だからといって、高額な出店料を吹っかけて、金を払うことができた業者だけを入れる。そうじゃない本は、金を払えなかった業者に申し訳が立たないから、たとえ講師本人であっても持ち込み販売は禁止ってさ。「弁当作りたくない親からクレーム来るとイヤだから運動会は午前中だけね」の世界と、まったく同じレベルじゃん。学会なのに!!もうがっかりもいいとこです。
そーゆーの、ぼくは許さないのです。長いものに巻かれたりはしません。だからこんなスライドまで用意して、ぶちまけたのです。「おかしくないですか?」と。
ちときつい感じですね、今見ても。大会長講演の直後、えらい人もたくさん残ってると見越したからこそです。ぼくは主催者の手先じゃなく、聴講者の味方なんですもん。黙ってりゃすむとは思いません。可能な限り寄り添うのは当たり前のことなんで。
…ところでみなさん、気づきましたよね。
「だったら行きません」とか言ってた北折が、出かけて行ってしゃべった上に、本を112冊売ったとか書いてたじゃんと。
はい。おかげさまで、住田先生に無理やり頑張っていただいてしまいました。出店していた出版社にお願いして、スペースを確保していただいた上に販売そのものもその出版社にお手伝いいただけることになりました。
ただ、ぼく自身は、その解決法は違うと思いました。
一業者にだけ負担をかけて、学会は知らん顔というのはおかしいでしょ。
でも住田先生だったから、受諾しました。住田先生は、ぼくだけじゃなく他の講師の方の本も販売できるように手配して、聴講者が本に出会えるようにくださってました。「やはりおかしい」とわかってくださってたということです。
北折が「ドタキャン」をネタに脅して販売をゴリ押ししただけ、と思われちゃうかもしれませんね。そーまでして本を売りたいのかよと。でも、それがいやなら誰がブログになんて書くかいです。ぼくは、考えていただきたいのです、学会の人に。そして似たケースを引き起こしてる人たち(&巻き込まれてる人たち)に。
一冊の本との出会いは、本当に人を、世の中を変えることがある。教育者がそれを大切に思う思わないって、どうなのかを。
寄り添うフリではなく寄り添う。先生側にではなく、生徒の側に。
奇しくも、今回の大会テーマは「子どもの生活認識に寄り添う保健教育と学校保健」なのです。
そのためのプロなんだから、やって当たり前。業者殺到して困るなら、それをどうさばくかを、お客さんに寄り添って考える。やって当たり前すぎ。
じゃ、「販売ができないなら講演をドタキャンする」のは、寄り添ってないんじゃないか?という議論もありますよね。当然すぎるほど当然なのですが、ぼくはそこでめちゃ自分を板挟みにして苦しんでいます。もう10日も経つのに今だって。
学会のえらい人にわかってもらって、受講者の利便性を優先するように変わってもらうには、ドタキャンしといたほうがよかったかもなと、いまだに悩んでます。だからこのおもしろくもないブログを書いてるワケです。
長くてごめんなさいね。最後に、「さらにがっかりしたこと」だけ書いて終わりますからね。
なんとね、見ちゃったのですよ。来年の学会の担当者なのかな、ぼくの本を置いてくれた出版社のところに来て、
「まあ、そーゆーわけでごめんね、来年は一切売れないから。」ですって。「見本だけ展示できるんで、それで勘弁して。」なんですと。もう、開いた口がふさがらんかったですよ、ぼくは。
ごめんねを言う相手は、業者じゃなくて聴講者でしょーが!!というのもあるんだけど、「そーゆーことなんでよろしく」程度の認識しか持っていないことに、ぼくは日本の教育学のトップクラスの人たちの認識の低さに心からガックリ来ました。見てたからわかったはずでしょ、本のブースにいかに人が殺到して我先にと本を求めていたか、その人たちの顔がいかに輝いていたか。そんなのもわからん人たちが教育のトップ…。そんな人が考える来年の学会プログラムが果たしてなんぼのものかと暗澹たる気持ちです。
まあぼくは二度と呼んではもらえないでしょうから関係ないんですが、今言えるぼくの希望はひとつです。
聴講者利益を優先させる発想を持たないまま販売禁止の会場を選んじゃったせめてもの償いとして、来年は是非、各講座の講師の部屋での「こっそり販売」を黙認するようにと。(バレちゃって叱られたら幹部が謝まればよい話。それで出入り禁止になったら、その会場を選んだ者の責任だと認識すべし。)
ぜひ真剣に考えてくださいね、日本学校保健学会の上層部の皆さん。
2018年12月04日
がっかいがっかり…?その1
はじめにお断りしておきますが、とってもいい学会でしたよ、本当に。
素晴らしかったです。なのに、がっかりもあったのです。
「よりよい教育とは」を語り合い学び合う場なのに、なんなの?と思っちゃうような。
日本中から保健教育と保健教育「学」の専門家が集まる、日本学校保健学会の学術総会。
その第65回は12月1〜2日、ぼくの大好きな大分で開かれました。大会長は、やはりぼくの大好きな大分大学の住田教授です。
なんとぼくがガッテンを始めるよりもはるか前から、NHKの番組がいかに子どもたちへの教育に効果が高いかにちゃんと着目され、使えそうなあらゆる番組をチェックし、正規のルートを経て画像や動画をゲットして教材を作り、小中高校の先生が使いやすいようにアレンジをしてくださってた、神様のような人です。
なのに、ぼくが大分県内に講演に行った際にはわざわざ聴きに来てくださった上に、送迎までしてくださる、めちゃ気さくで、しかもかわいいところのある大御所さんなのです。
直接は確認していませんが、住田教授は、この学会そのものにも新しい風を吹かせなければダメだという意識がとても高かったことと思います。その思いが強すぎて気持ちが焦ったのか、なんとオープニング記念の大会長講演を、間違えて10分早く始めちゃって、しかもあり得ないことに「座長」の登壇もすっ飛ばして(こうした学会では、ひとつひとつの講座ごとに必ず「座長」という立場のえらい人がいて、演者を紹介して始める習わしになっています)、1人でしゃべり始めるという大失態。途中で客席から声がかかり係員が話を中断して座長登壇という、たぶん過去日本国内では一度も無いようなことをしでかしちゃったりするほどの、「並々ならぬ決意」だったと、ぼくは解釈しています(マジかわいかったです、事態を把握したその瞬間)。
今回の学会の「新しい風」、を象徴するような写真がこれ。
なんと10年前に、ガッテンのスタジオに見学に来てくださった、当時岡山大学歯学部の岡崎先生と、兵庫県立大学の永井先生。この3人ともが、学術大会の登壇者なんですよ。ありえます?10年前のガッテンスタジオ3ショットが学術大会そろい踏み!!
しかも、このほかに、西日本新聞社の超名物編集委員で、やはり大好きな佐藤弘さん。そして、NHKからはもうひとり、ガッテンの後輩だった市川ディレクターも。
「同一分野の専門家だけの視点では教育も研究もダメになる」、というめちゃ明確なメッセージですね。
当然のことながら、「やっぱマスコミ人はチャラいよね」という評価で住田教授の名誉を傷つけてはいけませんので、ちゃんと品格を保ったまま(?)、教授につけていただいた「健康番組制作の〈眼〉からみる健康教育に求められる発想」というカッチリしたタイトル通りの内容で、ギャグ満載でお話しさせていただきました。
(すみません、ぼく自分の写真撮らないので、誰かに送ってもらわないとありません。写真は、佐藤弘記者の時にぼくが撮ったものです。)
280部刷った配布資料が全然足りなかったそうなので、ゆうに300人を超える方々にも、おかげさまで大ウケでした。たぶん当学会史上初の会場いっぱいの笑い声の連続。
用意されてたぼくの著書112冊が、ホントあっという間に完売!!(まだ30〜40冊は行けたと思います。買えなかった人ごめんなさいm(__)m)でしたからね。集まられた方々にとっても、しっかり役立つお話ができたと思います。
…ではあったのですが。。。。
やはりたぶん、当学会始まって以来だと思います。わざわざ「それ用」のスライドまで作って、最後から2枚目のところで、ぼくはこの学会に対する批判の言葉を、ぶちまけました。
しかも、オープニングの大会長記念講演直後の、特別講演(1)で、大会長自らが座長を務めてくださってる、そんな場で。
さて、その中身とはいったい!?
そしてその後に気づいてしまった、さらにガッカリしちゃったこととは?
…続きは、少し落ち着いてから書きますねー。
あ、すご〜くうれしかった、ぴちぴちなネタもあります。
素晴らしかったです。なのに、がっかりもあったのです。
「よりよい教育とは」を語り合い学び合う場なのに、なんなの?と思っちゃうような。
日本中から保健教育と保健教育「学」の専門家が集まる、日本学校保健学会の学術総会。
その第65回は12月1〜2日、ぼくの大好きな大分で開かれました。大会長は、やはりぼくの大好きな大分大学の住田教授です。
なんとぼくがガッテンを始めるよりもはるか前から、NHKの番組がいかに子どもたちへの教育に効果が高いかにちゃんと着目され、使えそうなあらゆる番組をチェックし、正規のルートを経て画像や動画をゲットして教材を作り、小中高校の先生が使いやすいようにアレンジをしてくださってた、神様のような人です。
なのに、ぼくが大分県内に講演に行った際にはわざわざ聴きに来てくださった上に、送迎までしてくださる、めちゃ気さくで、しかもかわいいところのある大御所さんなのです。
直接は確認していませんが、住田教授は、この学会そのものにも新しい風を吹かせなければダメだという意識がとても高かったことと思います。その思いが強すぎて気持ちが焦ったのか、なんとオープニング記念の大会長講演を、間違えて10分早く始めちゃって、しかもあり得ないことに「座長」の登壇もすっ飛ばして(こうした学会では、ひとつひとつの講座ごとに必ず「座長」という立場のえらい人がいて、演者を紹介して始める習わしになっています)、1人でしゃべり始めるという大失態。途中で客席から声がかかり係員が話を中断して座長登壇という、たぶん過去日本国内では一度も無いようなことをしでかしちゃったりするほどの、「並々ならぬ決意」だったと、ぼくは解釈しています(マジかわいかったです、事態を把握したその瞬間)。
今回の学会の「新しい風」、を象徴するような写真がこれ。
なんと10年前に、ガッテンのスタジオに見学に来てくださった、当時岡山大学歯学部の岡崎先生と、兵庫県立大学の永井先生。この3人ともが、学術大会の登壇者なんですよ。ありえます?10年前のガッテンスタジオ3ショットが学術大会そろい踏み!!
しかも、このほかに、西日本新聞社の超名物編集委員で、やはり大好きな佐藤弘さん。そして、NHKからはもうひとり、ガッテンの後輩だった市川ディレクターも。
「同一分野の専門家だけの視点では教育も研究もダメになる」、というめちゃ明確なメッセージですね。
当然のことながら、「やっぱマスコミ人はチャラいよね」という評価で住田教授の名誉を傷つけてはいけませんので、ちゃんと品格を保ったまま(?)、教授につけていただいた「健康番組制作の〈眼〉からみる健康教育に求められる発想」というカッチリしたタイトル通りの内容で、ギャグ満載でお話しさせていただきました。
(すみません、ぼく自分の写真撮らないので、誰かに送ってもらわないとありません。写真は、佐藤弘記者の時にぼくが撮ったものです。)
280部刷った配布資料が全然足りなかったそうなので、ゆうに300人を超える方々にも、おかげさまで大ウケでした。たぶん当学会史上初の会場いっぱいの笑い声の連続。
用意されてたぼくの著書112冊が、ホントあっという間に完売!!(まだ30〜40冊は行けたと思います。買えなかった人ごめんなさいm(__)m)でしたからね。集まられた方々にとっても、しっかり役立つお話ができたと思います。
…ではあったのですが。。。。
やはりたぶん、当学会始まって以来だと思います。わざわざ「それ用」のスライドまで作って、最後から2枚目のところで、ぼくはこの学会に対する批判の言葉を、ぶちまけました。
しかも、オープニングの大会長記念講演直後の、特別講演(1)で、大会長自らが座長を務めてくださってる、そんな場で。
さて、その中身とはいったい!?
そしてその後に気づいてしまった、さらにガッカリしちゃったこととは?
…続きは、少し落ち着いてから書きますねー。
あ、すご〜くうれしかった、ぴちぴちなネタもあります。