2019年07月08日
「北折、ドラゴンになる」
中学のころから憧れだったのです。
ブルース・リー。
日本で初めて彼の映画が公開されたのは、小学校3年くらい。
その頃は、なんとも思ってなかったのに、中学で映画少年になってから、もうとっくに亡くなってる彼のファンが、もんのすごおおく彼のファンであり続けていることを知って以来、気になってしまって、高1の頃に、「死亡遊戯」が公開されちゃって、完全にはまりました。
友達から借りた、香港から取り寄せたブルースリーの雑誌を決して返さず、自作のヌンチャクも何本も持ち、当時自宅にはなかったビデオを友人宅でテープが擦り切れるほど見て、練習しました。
その頃の写真を1枚だけ。
もっとバッチリ決めてる写真がいくらでもあったはずですが(「燃えよドラゴン」のひっかき傷までつけたやつとかね)、アルバムごとどこか行っちゃったみたいですね。どこやったのかなー。
けっこう人生そのものが好きだったんですよね、波乱万丈の。
そして、考え方も。
なぜ彼が、ああいう人になっていったかのプロセスを知ると、演技や演出の変遷も楽しめる。
だってぼく、大学を選ぶときは完全に、「心理学を学びたいから」でしたもん。
もちろんブルース・リーと同じです。勝つためには単に技や体を鍛えるのではダメで、相手の心理を読める人間が勝つのだと。ぼくは武術は学びませんでしたが、心理学で勝とうという今の「やり口」(=北折流の「演出家的発想法」)は、すべて彼がきっかけで学んだものなのですよ。
(それで言うと、その後のうちの番組がイマイチだったのは、ブルース・リーに学んでなかったせいだと、ぼくは断言しても構わないですね。)
「李小龍」…彼の名前の中国語表記で、「リ・シャオルン」と読むそうです。リトル・ドラゴン。この謙虚な感じがよいですね。だからこそ不断の努力をする決意が生まれたと思えますね。
あ、ついでにいえば、拙著「死なないぞダイエット」のあとがきの最後にも、わずか3行ですが、ちゃんとブルース・リーのことが書いてあるんですよ。昔の版(2007年)には、それをイメージしたイラストまで。ね、思いが本物だったこと、わかってもらえるでしょ。
まあそれはそれとして!!
ちなみに、今度ぼくのはじめてのDVDが発売されるのですけどね。
まあそれはどうでもいいんですけれどもね。
そのパッケージ案を、発売元の人から送ってもらって初めて見たときの衝撃ったら、
もう、ありゃしない!!!ですよ。
まったくもうね、何をしてくれましたのっ!?!?の世界です。
あ、このデザインがイマイチ暗いとか硬いとか、そんな話じゃありません。
ま、確かに暗いですけど、それはこの後かなり変わりました。
でも大事なのはそこじゃありません。
アップでよ〜く見てください。DISK1。
ほらほら、ドラゴンになってるでしょ。「北折流」のはずのところが。
なんか、ブルース・リーになったとしか思えない、もとい!
ブルース・リーと同列になったとしか思えない、もとい!
ブルース・リーに、数ミリでも近づけたとしか思えないじゃないですか〜〜!
マジな話、ご担当者に誤字の指摘をするのが嫌でしたもん。
もしも願いが叶うなら、吐息を白いバラに変えても変えなくてもいいんで、
ここだけは見逃してもらえないかなーと、思いましたもん。
「北折龍」ですって。
ああ、もう…。ああ、もう……。
こんなどえらい間違いを犯していても、
「あ、ホントだすみません」くらいで終わっちゃうんだろうと思うと、
もうね、「担当者、何してくれとんのじゃああああ!!!!!」と、深夜の多摩川に向かって叫びたいくらいの気持ち。
(その直後の誤字も、そーとーキモくて笑えるほど怖いのですが。そしてその直後に、「ここから間違えてるからね」というのも、狙ってやってるとしか思えない絶妙ぶり…。)
こーゆーの、わかんないだろーなー。誤字ひとつで舞い戻れる、あの甘美な青春の日々。
すみませんです。わかれっていう方が、アタマおかしいですね。
なんか、ブログ書くとしょっちゅう最後には謝ってる北折でした。
そーゆーとこ、あの方には遠く及んでないどころか、
及ぶ及ばないという発想自体がおこがましかったですね。
すみません。m(__)m
てゆーか、ちょっとした誤字のことを大げさに持ち出して、
じつは自分のDVDのことを宣伝したかっただけじゃないのかって…?
てへぺろ(;^ω^)
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