北折一ブログ

2017年11月07日

下手な落語家よりも…

講演を主催してくださる方には、ホントいろんな方がいらっしゃいます。
終了後に、「いやあ、けっこうおもしろかったですねえ」みたいなことをおっしゃる方。
もちろん、「ありがとうございます〜」とにこやかに返しますが、
腹の中では、
「けっこう、って? けっこうとは普通は言わないよねえ(軽怒)。」みたいな。
いや、普段から「どーです、めっちゃ面白かったでしょ」と思ってるわけではないんですよ。でも、そー言われちゃうと、「ああまで受けてて、みんなものすごくニコニコと帰られたじゃないですか〜。それでけっこうだったら、あとどーすりゃいいの??」とは思っちゃいますね。お笑いじゃないんだし、いたってまじめな健康づくりの話なのに〜!!と。
逆に。
過去2回ほど言われて、かえって恐縮しちゃう羽目になったのが、
「いやー、下手な落語家なんかよりずっと面白かったです」というお言葉。
しかもそのうちお一人は、「自慢じゃないですが、わたし年間100本近く落語を見てるんですけどね」という強者でしたから、より一層恐縮しまくりです。
もちろん、うれしいんですけどね、ものすごく。
でも!!!!!
ぼくは落語と落語家に育ててもらったという、自覚と事実があるのです。
だからこそ、「でしょでしょ、ですよねー。」などという気持ちには全くなれないどころか、
「いえ、それはないです」な気持ちになります。

ああ、志の輔さんのことね、と皆さん思うでしょ。
そう!!…ではあるのですが、その前に洗礼を受けたのが、今は亡き桂枝雀さんです。学生時代に知って以来テープ100本以上、もうビロビロになるくらい聞きまくり、名古屋の公演は6時間前から並んでかぶりつき、チケットが取れないときには照明のバイトとして潜り込んでまで見ました。今でも一言一句暗唱できるくらいです。
ぼくが講演時に話しているギャグは、すべて、枝雀さんの落語理論における「笑いとは」の定義に則って、練って練ったセリフを口述しています。アドリブはほぼ皆無です。
その定義とは…。
「およそ笑いというものは、すべからく『緊張の緩和』ないしは『緊張と緩和の同居』である」。
すごいですよねー。すべてがそうとは限らないのでは?という疑問を挟ませない、言い切り感。
ぼくのギャグは、すべてそれで準備しています。ホントです。

そして志の輔さん。
初めてお仕事させていただいたのは、1993年ですから、もう24年も前。98年からは、毎週毎週、それはそれは濃い〜打ち合わせ・リハーサル・本番・反省会を繰り返しました。
だって、日本一チケットが取れない落語家さんですよー。
すごいんですよ、最後の最後まで、ギリギリのギリギリまで考え抜く姿が。はずしちゃったときの瞬間的な立て直しもすごいのですが、その後、VTRの間にセット裏で、軽く落ち込んだり焦ったりしつつも、またすぐに立て直し策を考えまくるところ、めっちゃ密着して学ばせていただきました。
そんなすごい人たちを見てますからね、落語家と比較されるだけでも、おこがましすぎるのです。

まあでも、「下手な、落語家よりも」とわざわざ言ってるんだから、まいっか。
…とも思いませんねえ。
もちろん、ぼくも「下手な落語」はたくさん見てきました。それと比べれば、はるかに大きな笑いを確実に、ほぼ計算通りに取ってるのも事実です。
でもぼくは、まだ上手ではない落語家さんよりも、はるかに有利な立場と、すごく強い武器をいくつも利用しまくってますからね。お客さんが笑わないなんてことはありえないのです。

当然ながら、最大の武器はスライドですね。相手をリラックスさせつつ核心を突く文字や画像を、しゃべり言葉とのリンク感を思いっきり計算して作り込んでますからねえ。これは強いです。
文字も画像もガンガン出るので、落語と違って、お客さんの「頭の中に想像の世界」をこしらえなくてもよいのです。しかも、1枚1枚のスライドの画像を見て自動再生できるようにセリフを練習してますから、「ものがたり」を語らなくてもよいですし。

もうひとつの強い武器は、演出家であること。
自分のしゃべり能力をもともと信用していない分、ある意味、「演出上の持ち駒」として、自分の声を活用しているかのような感じでやってます。なので、役者の力量が足りない分は演出で補えばよいのです。それができるようになって、ずいぶんラクになりました。
さらに強い武器は、「事実」を語ればよいこと。自動的に信頼される肩書きですからねー。信頼感が確保されてる分、どうしゃべってもついてきてもらえます。ここも落語とはえらい違い。

若い落語家さんたちは、そもそもが厳しい戦場ですからね。「笑うために金を払ってやってきた」客が、「おもしろければ笑ってやるけどな」という目で見てるわけです。「別にあんたが笑わせてくれなくても、この後に大御所が確実に笑わせてくれるからな」というシビアな目で。そんなところで戦うってだけでも、身の毛がよだちます。ぼくの場合は、9割9分が、タダですもん。

そしてそして。
ぼくが笑いを取るのにめっちゃ「有利な立場」というのは、枝雀理論で言うところの、「笑いとは何か」の最重要案件が、もともとぼくには備わってることです。それが、「元NHKの看板番組のディレクター」という立場です。
これ、ものすごく使えるのです。
だって、「どんな立派な人が、どんな立派な役立ち情報を語ってくれるんだろう」「きっとものすごく仕事のできる、真面目でキッチリした人に違いない」という「緊張条件」がお客さんの中にすでに完全にできあがっていますから。
なのでマイクを持ったら、毎回必ず37秒ほどかけて「思ってた通りのキッチリした話(→1995年の地下鉄サリン事件とか言いますからね。しかも、自己紹介は無しなの?な空気も漂わせたりします)」をいきなり始めてその緊張をさらに高め、そこに、破壊的なまでの「緩和」をぶつけてあげる。それだけで、「笑う人たち」が場内に一発でできあがります。もうホント、枝雀さま〜〜〜!!!!なのです。
IMG.jpg

ちなみにその冒頭のギャグは、めちゃマニアックな話ですが、昭和56年サンケイホールの「6日間連続独演会」における「鴻池の犬」の第一声の手法を完全に北折流に置き換えたもので、構造的には全く同じものだということが、枝雀マニアの方にはわかっていただけるかもなと思ってます。
って、わかんないですよねえ。すびばせん。
そんな落語ファンなものですから、やっぱり落語家の方と並べていただくわけにはいかないのです。
しかもね。落語家の方は、落語をしないときも人前で話すときは必ず笑わせようとするでしょ。ぼくはちゃんと台本書かないとひとつたりともギャグは言えませんですのよ。
…その辺がやっぱ、いつまでたっても、裏方の人間の北折なのです。

(写真は、昭和60(1985)年に、夜の部なのに昼の部の開場前から受付にいたらお弟子さんが会館の人と間違えて、ごはんに誘ってもらったときのもの。なんで目つぶるかねえ。)
posted by kitaori at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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