北折一ブログ

2018年12月19日

「放送も終了したので、マイウェイな感じで」

ついに終わりましたねー、「西郷どん」。
鹿児島をはじめとする九州の方々には申し訳ないのですが、もともとぼくは西郷さんにはそれほどいい印象を持ってはいませんでした。正確に言うならば、特に何とも思わない、まあ親しまれやすい人だったんだろーなくらい。
それが、11年前、「あるできこと」をきっかけにして少し詳しく調べてからは、「人物に関しては、本当に人をひきつけ、動かすことのできる大きな人だったんだなー」と、確信を深めることができました。
一方で、西郷さんさえいなければ、もっと全然違う日本になってたはずなのに!!という思いが逆に深まってしまったんですね。とんでもなくない?みたいな。いや、お好きな人には申し訳ないと思ってますし、いろんな面がありますからね、人物にも歴史にも。でも、なかなかぬぐえなくてねー。
なんですけどね。
じつはぼく、大河ドラマ「西郷どん」のラストシーンを、なんと11年も前に予見してたんですよ。
…としか思えないお話を、今日はさせていただきましょう。

まあ話の展開的には、「あるできことをきっかけに」って、なんなの?ですよね。
ちゃんと話すとちょい長いんで、思いっきり端折りますけどね。
2002年くらいかな、ものすごい偶然の重なりで、鹿児島出身の演歌歌手・日高正人さんと知り合いました。「一度の大ヒットも無いまま、演歌歌手で初めて武道館を満員にした男」「無名のスーパースター」という、ある意味すごい人で、めっちゃいい人なのですが、傍から見ると、頭の禿げたでかくてごつい田舎者のおっさん以外の何者でもない人でね(ホームページ検索してね。今はおしゃれなおじいさん風です)。昭和45年デビューの大先輩に向かって失礼ながらも、「ただでさえ演歌が売れない時代なのに、いつまでも日高さんの風貌で、男女の恋心とか歌ってたらダメですよ〜」という話を、飲んだときによく話していました。 
「日高さんは人生自体が演歌みたいな人なんだから、『人生』を歌わなきゃ」とか「鹿児島を歌ってきた歴史もあるし、鹿児島路線で狙うのがいいと思います」なんて話をしていて、勢いで「じゃあこうしましょう」と提案したのが、「よかどマイウェイ」というタイトル。(よかどは、「いいもんだぞ」くらいの感じかな。)
で、マイウェイを鹿児島弁で新たに作詞して、コミックソング風ながらもほろっとさせる、人生を思いっきり歌い上げた曲を出す!!という作戦。

その後2〜3年かな、放置しちゃってましたが、ある日突然NHKを訪ねてこられたマネージャーさんから、「あの話なんですけどね」と切り出されて、「じつは来年西郷隆盛の没後140周年なんで、『よかどマイウェイ』で西郷さんを歌いたい。北折さんに作詞をしてもらいたい」。
そりゃね、「えええええ〜〜〜〜〜」でしたよ。真面目な話。
西郷さんでは、コミカルにできないじゃないですか。いまだに熱烈なファンも多いことくらいは知ってましたし、まして鹿児島の人にめちゃ叱られそうで。
まあでも、日高さんは地元の西郷隆盛奉賛会(調べてみてね)ともつながりが深いし、毎年西郷さんのお墓掃除にも出かけているし、大切に思ってるからこそぼくにご依頼いただいたんだなーということで、お受けいたしました。
で、調べたんですよ。ガッテン作りながら、いろいろと。
そしたらねえ。大量殺戮の世界ですよ。九州じゅう駆けずり回って各地で地元の前途ある若者たちを大量に巻き込んで、どんだけ人が死ねばいいわけ?なくらいのことが起きちゃってるワケです。これは西郷さんじゃなければ起きなかったことでしょう。幕末の他の生き残りの誰であったとしても、ああまでのことにはならなかったんじゃないかなあ。その大量の志高い人たちが死んでなかったら、その後の九州の、そして日本の歴史も全然違ったものになったと思います(タラレバ無用の世界ですけどね)。もちろん西郷さんが悪くてそうなっちゃったわけではないでしょうけど、だからこそ、やるせないというか、せつないというか、罪も深いというかね…。
この大量殺戮(人数は知りません)に関しては、なんかほとんど語られてないんですよねー。いろんな人たちの中に、西郷さんのイメージが悪くなっちゃうのを恐れる気持ちもあったでしょうね。
「激しい戦い」の描写はあっても、大量殺戮な感じはね。。。
ぼくも忖度しました。というより、目を背けたい思いもありました。
「西郷どん」でも、西南戦争は2回分でしかなかったのは、やはり重くしたくない意思が働いたものと思います。
あれ、あんまり端折れてないですかね。
じゃ、ご覧いただきましょう。
その時に日高さんにお送りしたそのまんまの文書と歌詞。今見るとこっぱずかしいし直したい部分もあるのですが、そのまんま。
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ね!「西郷どん」見続けた人ならわかりますよね?ね?
「西郷どん」見てから書いたんじゃないかってくらいじゃんって。
せっかくなんで、「マイウェイ・カラオケ」で動画検索して楽しんでくださいね。
つるッと読んじゃうとつまんないので。(それは中島さんの訳詞も同じ)

多くの人に語り掛ける人だっただろうということで、「よ」を多用してます。あと「連用止め」っていうのかな?「〜て」も並べてます。
ド頭の「友よ」は、思いっきり大久保って感じでしょ。瑛多でしょ。
「西郷どん」の制作方針として、これまでそれほどスポットの当たってなかった、流刑時代を「思いっきり色濃く描く」のがあったそうですが、ぼくも同じ思いでした。なので、「島の暮らし」を2番のド頭に。ここで人の情を知るわけです。そして、やはりあまり重視されてないような「田舎に引っ込んでからは狩猟ばっかの生活」も、その後に続けて。
ぼくね、ここらが「人間・西郷」の中でなんか一番大事な気がしたんですよ。史実として並べられる事柄よりも。人間だもの。
大量殺戮を全部すっ飛ばしたくなった表れとして、1番は「維新まで」。2番はいきなり、絶命の瞬間の、いわゆる走馬灯のイメージで書きました。走馬灯で思いっきり浮かんだのは、どう考えても島の暮らし。なので、ぼくの中では、「妻よ我が子よ」の妻は、愛加那さんです。(よかったですよねー、二階堂ふみさん。いい役者さんですねー。ホントにそこに住んでた愛加那本人のようにしか思えませんでしたね。)
ドラマでは、イトさんが前を向いてましたが、よい感じで愛加那さんのシーンが入ってましたねえ。
そして!!!!なんと!!!!
ドラマのラスト(正確にはラストちょい前)は、
西郷と大久保が、大志を持って江戸に続く街道を、「よっしゃあ〜〜!!!行くぞお〜!!!」な感じで駆け出した、そのツーショットのストップモーションなんですよ!!!!
歌詞の最後の、「友よ、行っがあ」とまったく同じじゃないですか!!!!!
駆け巡るんですよ、肉体から解き放たれた人間・西郷の精神は。
天に向かって。(天国じゃないですよ)


あ、また長くなってますね。
すみません、長いついでに、YahooNewsから勝手に引用なのですが、<西郷どん>「大久保正助を忘れてきた」回想かぶせに反響 「ずるい」「涙腺崩壊」、という記事の中にこんな一節。
“西郷が大久保を迎えに来る”シーンは、若き2人の熱き友情と絆を描いた名場面の一つ。再び江戸に向かったはずの西郷が、来た道を駆け戻ってくると、薩摩を出ることを決めた大久保に「忘れもんした。おはんじゃ、大久保正助を忘れてきた」と告げ、大久保も「行っどお!」と応える……という展開。
 最終回のまさかの“かぶせ”に、SNS上は「一蔵どんの最期に『大久保正助を忘れてきた』のシーン入れるとか反則ですやん」「このタイミングで『大久保正助を忘れてきた』はずるい」「めっちゃ泣いた」「完全に涙腺をやられました」

ほらねほらね、大反響。
すごくないすか!? 11年前のぼく!!
ドラマでは「行っどお」でしたが、ぼくもそこは迷ったところで、すこし語感が弱いんですよね、歌う時には。下がるというか。それで方言辞典のようなページを探して探して、「行っがあ」にしました。
おかげさまで、奉賛会の事務局長さんには、「今までの西郷さんの歌の中で最も素晴らしい。初めて西郷さんのことをちゃんと歌った歌だと思います」というお言葉もいただきました。
最終回の再放送も総集編もあると思うんで、ぜひぜひよかどマイウェイしてから見てくださいね。

「西郷どん」の役者さん達(特に鈴木さん。もんのすごい役者ですねえ、本当に)、カラオケ行く人たちなのかどうかわかりませんが、これプリントして持って行って、歌ってほしいなー!!!!!
それ想像するだけで、もうたまらんですわ。

は〜、たまらん( *´艸`)。
誰か伝えてくれないかなー??


posted by kitaori at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記