北折一ブログ

2019年02月20日

第55回の、残念な幕開け。

みなさま。

特にFacebookのお友達のみなさま。ぼくの55回目の誕生日に際しまして、
たくさんコメントをいただきましてありがとうございました。
こちらからはどなたにも誕生日メッセージをお送りしていないのに、
すみませんm(__)m。
でもメッセージいただけるのはうれしく思っています。
ありがとうございます。

じつは…。
誕生日だというのに、高速でスピード違反で捕まりまして…。
しかもなんとですねえ。
警察官が以前にもぼくを捕まえた人なんですって!!
むこうがそれを覚えていました。
でもぼく、ちゃんとブレーキかけてスピード落としてたんですよ。
取り締まりとはまったく関係なく、早い段階で、
自分の意志で、あれ、ちょっと速いかなと思って。
なのに問答無用。
でね。免許証の生年月日欄を見て、
「まったくこんな日に何をしてるんですか。
何の日、今日は? 今日は、何の日、で・す・か?」と、
どうしてもぼくにそれを言わせようとするその態度が、
もうホント、ムカつくけれども悪いのはこっちだし、
とは言っても絶対に屈したくないし、うううう…。
…という、誠に、誠に!!嫌〜〜な嫌〜〜〜な感じの夢で目覚めました。
しっかり汗かいてました。

そんな幕開けの2019年2月20日でしたが、
新たな気持ちでまた1年頑張ります。
もちろん、スピードにも気をつけます。
どうぞ、ゴーゴー!!な感じの北折を、
また1年、よろしくお願いいたします。

m(__)m
posted by kitaori at 13:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年01月10日

遅ればせながら新年のご挨拶、みたいな。

「平成最後の」という言葉も思ったほどには流行らなかった、お正月が明けましたねー。
元旦は今年も愛知の実家に出かけましたが、中央高速から見える富士山も八ヶ岳も南アルプス・中央アルプスも、雪が少ない! 車も少なくて、全然正月らしさを感じませんでしたねー。
恒例?の家族低山歩き、いとこも含めて子どもたちは「行きたくねえ」。小4の下の子一人しか付き合ってくれませんでした。
登ったのは、県境の岐阜県側にある、伊木山(いぎやま)。小6の遠足以来なので、43年ぶり!!
いいですねえ、ここ。名川・木曽川が山間部を抜けて、まさにここから扇状地が始まる様が一望です。

20190103_151423.jpg写真で見えているのは、現存最古の天守閣、国宝・犬山城。手前の橋は木曽川をドイツのライン川に見立てて(川べりの崖の上にお城があるからですね)命名された、ライン大橋。過去ブログにも書いた、深夜にオオサンショウウオ3匹を見て仰天したのは、この橋の向かって左端のところです。
犬山城の側から見ると、この伊木山は夕日が沈む方向にあたるため、「夕暮れ富士」の別名もあります。
(画像検索してね。いい感じですよ。) 
が、子どもの頃住んでた側から見ると、だら〜ンとした形で採石場で山肌が削られた、なんとも言い難い山でした。ただ、山頂には自衛隊のために設置された航空障害灯が赤く光っているのが夜間はどこからでも見え、子ども心にもいつか間近で見てみたいと思っていたので、遠足でそれが見られるとわかったときには、「よっしゃ〜!!」と思ったものでした。
で登ってみたら、子どもの顔くらいの赤いガラスの電球が木の電柱にポツンとひとつあるだけ。どんなにすごい光源だろうと思ってたのが一気に拍子抜けしたのを、ありありと思い出しました。
同時に、たったこれだけで遠くからでも大きく見えてたことに、妙に感動したことも。
40年以上経ってるので若干進化したものの、まあ今も同じようなもんでした。不思議な感慨。
犬山城の城下町はお伊勢さんのように昔の街並みが再現されてますので、観光に訪れる機会があれば(&車があるならば)、ぜひ伊木山も楽しんでくださいませ。173mなんで、筋肉痛にもなりません。

では恒例の昨年のご報告。
講演は74本でしたので、そーと〜減ってしまいました。少しも営業活動してないからだよなーと思っていたら、それとは別に、いまだに「ガッテン糖尿病睡眠薬事件」が尾を引いているようだというのが、年末ごろになって発覚。医師会や歯科医師会で「そーゆーチャラいやつを呼ぶな」と強硬に反対する方が、まだまだおられるようです。まあ、古巣の番組が残念な事件を起こしたのがいけないんじゃなくて、会社を辞めて6年目にも関わらずぼく自身がいまだに「元ディレクター」しか肩書きを持っていないことがダメなんですけどね。せめてもの活動として、ホームページをリニューアルしようと思って下書きまでは作成したものの、それ止まりのまま(4月の新年度向けてがんばります!)。
とは言うものの、聴講人数は2000人以上増えて、15700人もの方々に聴いていただきました!! …気持ち的にはすごくうれしいのに残念でもあるのが複雑ですねー。収入は人数とは関係なく、回数ですからねー。もうちょっと、数を稼がねば。
携帯の位置ゲーによる移動距離は63034km。あれ、ほぼ前年と同じですねー。北は旭川や中標津、南は石垣島や徳之島まで、あちこち呼んでいただきました。

執筆活動でいうと、秋に待望の新刊が出ました!!なんと発売前からAmazonの部門別でベストセラー第1位!!!しかも、たった2週間で重版が決定し、その数はなんと初版本と同じ数。これ、業界的にはめちゃくちゃレアなことなんですよ。他のマスコミで宣伝されたわけでもないのにこれが起きるって、まずあり得ない。
20190110_142240.jpg欠品して入手不可だった時期を除いて、3か月以上もずっと毎日いまだに第1位を保ってます。すごくないすか!?!? …とは言うものの、部門が「歯科臨床部門」ですからね。数が知れてるので、「印税で儲かった分ごちそうするよ」なんてことは少しも起こらないレベルです。寄付もしてますしね。

記事の執筆等もありました。おもしろかったのは、めっちゃ畑違いの、「月刊コマーシャルフォト」。コマーシャルもフォトも少しも関係ないのに呼んでいただけたのは、対談が連載されてるニッポン放送(ラジオですよ)の名物アナ・吉田尚記さんが指名してくれたから。「なんでぼくが???」のギモンを抱いたまま出掛けたら、これがもう大感激なのです。なんと12年も前のぼくの初めての著書「かまぼこはなぜ11ミリで切るとうまいのか」をご愛読いただいてたんだそうで!!20181023_214132.jpg
しかもね。美味しい調理法についてまとめた本なのですが、ご自宅の本棚の分類では、料理本コーナーではなく「哲学」の分野に置いてあるんですって。そのことがどんなにぼくにとって凄まじくうれしいのかは、ごく一部の人にしかわかんないでしょー。でも吉田さんとは今後も楽しいことがありそうで、本当にありがたい機会でした。(記事はそのうち無断公開しちゃいますねー。月刊誌だからまあきっと怒られないでしょう。あ、去年もそんなようなこと書いてて、それっきりだったか…。)
あ、お正月ということで言えば、まさに今出ている「産業保健と看護」という雑誌1月号では、なんとまあ、表紙をめくったその第1ページ目に、ドーンと写真が出てます。
20190110_131059.jpg20190110_131132.jpg
これって、絶対!間違いなく!初日の出のイメージですよね。スカッと晴れたのと、ほんのちょっとだけ雲がかかったやつ。やってくれますねえ、メディカ出版さん。一緒に写ってるのは、この世界で有名な熊本大学の都竹教授です。何年か前に沖縄で飲んだことがあります。1月号用に9月なのに冬の上着を着ていったら(元マスコミ人ですので、そーゆー配慮ができます)いきなりポロシャツだったので、軽装です。それもビミョーに日の出感を高めてる気がします。Du5IlBiU0AAJ4LT[1].jpg

メディカ出版さんからは、今年新刊を出させていただくことが決まりました。発売日は未定ですが、あとがきとコラムのページを除いて、第一稿をすべて書き上げてますから、夏か秋までには。
あとはなんと!!初めてのDVDも夏ごろには発売されます(東京法規出版)。どちらも内容は「保健指導(面接)における、効果的なプレゼンについて」です。それ以外にもちょこちょこ単行本用に書き溜めてるのと、雑誌では「デンタルダイヤモンド」という歯科向けのも、まもなく締め切りで4月号のを書いてます。ものを書くのはますます嫌いになってますが、書かなきゃいけないことは増えてる気がして。
そんなこんなで、講演回数が減ってヒマになったようななってないような、収入は少し減ったので遊びに行くことは許されず釣りにも行けないような飲みには行ってるような、そんな昨今です。台風で講演が3つも延期になったり、出張ついでの被災地ボランティア活動の楽しさに目覚めたりなどいろいろあって、あいもかわらず楽しく過ごしてます。新しい出会いもたくさんありました。ホントは旅シリーズとして、ブログに書かなきゃなんですけどねー。

2019はどこに行けるかなー。
あいてる日は多いんで、みなさま、どうぞもっともっと北折をご活用くださいませ。
どこにでも行きますので!!
m(__)m
posted by kitaori at 15:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2018年12月19日

「放送も終了したので、マイウェイな感じで」

ついに終わりましたねー、「西郷どん」。
鹿児島をはじめとする九州の方々には申し訳ないのですが、もともとぼくは西郷さんにはそれほどいい印象を持ってはいませんでした。正確に言うならば、特に何とも思わない、まあ親しまれやすい人だったんだろーなくらい。
それが、11年前、「あるできこと」をきっかけにして少し詳しく調べてからは、「人物に関しては、本当に人をひきつけ、動かすことのできる大きな人だったんだなー」と、確信を深めることができました。
一方で、西郷さんさえいなければ、もっと全然違う日本になってたはずなのに!!という思いが逆に深まってしまったんですね。とんでもなくない?みたいな。いや、お好きな人には申し訳ないと思ってますし、いろんな面がありますからね、人物にも歴史にも。でも、なかなかぬぐえなくてねー。
なんですけどね。
じつはぼく、大河ドラマ「西郷どん」のラストシーンを、なんと11年も前に予見してたんですよ。
…としか思えないお話を、今日はさせていただきましょう。

まあ話の展開的には、「あるできことをきっかけに」って、なんなの?ですよね。
ちゃんと話すとちょい長いんで、思いっきり端折りますけどね。
2002年くらいかな、ものすごい偶然の重なりで、鹿児島出身の演歌歌手・日高正人さんと知り合いました。「一度の大ヒットも無いまま、演歌歌手で初めて武道館を満員にした男」「無名のスーパースター」という、ある意味すごい人で、めっちゃいい人なのですが、傍から見ると、頭の禿げたでかくてごつい田舎者のおっさん以外の何者でもない人でね(ホームページ検索してね。今はおしゃれなおじいさん風です)。昭和45年デビューの大先輩に向かって失礼ながらも、「ただでさえ演歌が売れない時代なのに、いつまでも日高さんの風貌で、男女の恋心とか歌ってたらダメですよ〜」という話を、飲んだときによく話していました。 
「日高さんは人生自体が演歌みたいな人なんだから、『人生』を歌わなきゃ」とか「鹿児島を歌ってきた歴史もあるし、鹿児島路線で狙うのがいいと思います」なんて話をしていて、勢いで「じゃあこうしましょう」と提案したのが、「よかどマイウェイ」というタイトル。(よかどは、「いいもんだぞ」くらいの感じかな。)
で、マイウェイを鹿児島弁で新たに作詞して、コミックソング風ながらもほろっとさせる、人生を思いっきり歌い上げた曲を出す!!という作戦。

その後2〜3年かな、放置しちゃってましたが、ある日突然NHKを訪ねてこられたマネージャーさんから、「あの話なんですけどね」と切り出されて、「じつは来年西郷隆盛の没後140周年なんで、『よかどマイウェイ』で西郷さんを歌いたい。北折さんに作詞をしてもらいたい」。
そりゃね、「えええええ〜〜〜〜〜」でしたよ。真面目な話。
西郷さんでは、コミカルにできないじゃないですか。いまだに熱烈なファンも多いことくらいは知ってましたし、まして鹿児島の人にめちゃ叱られそうで。
まあでも、日高さんは地元の西郷隆盛奉賛会(調べてみてね)ともつながりが深いし、毎年西郷さんのお墓掃除にも出かけているし、大切に思ってるからこそぼくにご依頼いただいたんだなーということで、お受けいたしました。
で、調べたんですよ。ガッテン作りながら、いろいろと。
そしたらねえ。大量殺戮の世界ですよ。九州じゅう駆けずり回って各地で地元の前途ある若者たちを大量に巻き込んで、どんだけ人が死ねばいいわけ?なくらいのことが起きちゃってるワケです。これは西郷さんじゃなければ起きなかったことでしょう。幕末の他の生き残りの誰であったとしても、ああまでのことにはならなかったんじゃないかなあ。その大量の志高い人たちが死んでなかったら、その後の九州の、そして日本の歴史も全然違ったものになったと思います(タラレバ無用の世界ですけどね)。もちろん西郷さんが悪くてそうなっちゃったわけではないでしょうけど、だからこそ、やるせないというか、せつないというか、罪も深いというかね…。
この大量殺戮(人数は知りません)に関しては、なんかほとんど語られてないんですよねー。いろんな人たちの中に、西郷さんのイメージが悪くなっちゃうのを恐れる気持ちもあったでしょうね。
「激しい戦い」の描写はあっても、大量殺戮な感じはね。。。
ぼくも忖度しました。というより、目を背けたい思いもありました。
「西郷どん」でも、西南戦争は2回分でしかなかったのは、やはり重くしたくない意思が働いたものと思います。
あれ、あんまり端折れてないですかね。
じゃ、ご覧いただきましょう。
その時に日高さんにお送りしたそのまんまの文書と歌詞。今見るとこっぱずかしいし直したい部分もあるのですが、そのまんま。
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ね!「西郷どん」見続けた人ならわかりますよね?ね?
「西郷どん」見てから書いたんじゃないかってくらいじゃんって。
せっかくなんで、「マイウェイ・カラオケ」で動画検索して楽しんでくださいね。
つるッと読んじゃうとつまんないので。(それは中島さんの訳詞も同じ)

多くの人に語り掛ける人だっただろうということで、「よ」を多用してます。あと「連用止め」っていうのかな?「〜て」も並べてます。
ド頭の「友よ」は、思いっきり大久保って感じでしょ。瑛多でしょ。
「西郷どん」の制作方針として、これまでそれほどスポットの当たってなかった、流刑時代を「思いっきり色濃く描く」のがあったそうですが、ぼくも同じ思いでした。なので、「島の暮らし」を2番のド頭に。ここで人の情を知るわけです。そして、やはりあまり重視されてないような「田舎に引っ込んでからは狩猟ばっかの生活」も、その後に続けて。
ぼくね、ここらが「人間・西郷」の中でなんか一番大事な気がしたんですよ。史実として並べられる事柄よりも。人間だもの。
大量殺戮を全部すっ飛ばしたくなった表れとして、1番は「維新まで」。2番はいきなり、絶命の瞬間の、いわゆる走馬灯のイメージで書きました。走馬灯で思いっきり浮かんだのは、どう考えても島の暮らし。なので、ぼくの中では、「妻よ我が子よ」の妻は、愛加那さんです。(よかったですよねー、二階堂ふみさん。いい役者さんですねー。ホントにそこに住んでた愛加那本人のようにしか思えませんでしたね。)
ドラマでは、イトさんが前を向いてましたが、よい感じで愛加那さんのシーンが入ってましたねえ。
そして!!!!なんと!!!!
ドラマのラスト(正確にはラストちょい前)は、
西郷と大久保が、大志を持って江戸に続く街道を、「よっしゃあ〜〜!!!行くぞお〜!!!」な感じで駆け出した、そのツーショットのストップモーションなんですよ!!!!
歌詞の最後の、「友よ、行っがあ」とまったく同じじゃないですか!!!!!
駆け巡るんですよ、肉体から解き放たれた人間・西郷の精神は。
天に向かって。(天国じゃないですよ)


あ、また長くなってますね。
すみません、長いついでに、YahooNewsから勝手に引用なのですが、<西郷どん>「大久保正助を忘れてきた」回想かぶせに反響 「ずるい」「涙腺崩壊」、という記事の中にこんな一節。
“西郷が大久保を迎えに来る”シーンは、若き2人の熱き友情と絆を描いた名場面の一つ。再び江戸に向かったはずの西郷が、来た道を駆け戻ってくると、薩摩を出ることを決めた大久保に「忘れもんした。おはんじゃ、大久保正助を忘れてきた」と告げ、大久保も「行っどお!」と応える……という展開。
 最終回のまさかの“かぶせ”に、SNS上は「一蔵どんの最期に『大久保正助を忘れてきた』のシーン入れるとか反則ですやん」「このタイミングで『大久保正助を忘れてきた』はずるい」「めっちゃ泣いた」「完全に涙腺をやられました」

ほらねほらね、大反響。
すごくないすか!? 11年前のぼく!!
ドラマでは「行っどお」でしたが、ぼくもそこは迷ったところで、すこし語感が弱いんですよね、歌う時には。下がるというか。それで方言辞典のようなページを探して探して、「行っがあ」にしました。
おかげさまで、奉賛会の事務局長さんには、「今までの西郷さんの歌の中で最も素晴らしい。初めて西郷さんのことをちゃんと歌った歌だと思います」というお言葉もいただきました。
最終回の再放送も総集編もあると思うんで、ぜひぜひよかどマイウェイしてから見てくださいね。

「西郷どん」の役者さん達(特に鈴木さん。もんのすごい役者ですねえ、本当に)、カラオケ行く人たちなのかどうかわかりませんが、これプリントして持って行って、歌ってほしいなー!!!!!
それ想像するだけで、もうたまらんですわ。

は〜、たまらん( *´艸`)。
誰か伝えてくれないかなー??


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